アールベルク郡 (Amt Aarberg)
アールベルク政庁(Amt Aarberg)は、1358年から神聖ローマ帝国下のベルン共和国における在郷代官地となった. アールベルク政庁は、アールベルクの町と、教区教会のアッフォルテルン教区(Affoltern)、バーゲン教区(Bargen)、カッペレン教区(Kappelen)、カルナッハ教区(Kallnach)、リス教区(Lyss)およびラーデルフィンゲン教区(Radelfingen)で構成されていた.
ペーター2世伯爵は1351年に、町と城、および領地をベルンに抵当した. そのため、ニーダウのティーエルシュタイン伯爵家とキーブルク伯爵家に残存している抵当権が解消されなければならなくなり、1379年に補償が行われた. このように始めから正当でない売却となっていたので、ベルンの在郷代官はアールベルクに赴任することができず、1395年にようやく初めて現地に赴任した.
それ以降、アールベルクはによって統治された. ヘルヴェティア共和国の中央集権時代を経て、1803年にアールベルクを郡都とするアールベルク郡が設置され、1832年にはアールベルクも基礎自治体となった.